上村松篁
日本の鶴という意味をもつ鳥 タンチョウ。稲穂をくわえて舞い降りてきたことから我が国では 古来より神聖な鳥とされてきました。高貴にして汚れなき 日本の美。さて ここに一枚の写真があります。親子3代彼らは そんな日本の美を追究してきた一家です。奈良 大和路 古代の都にその一家の120年にわたる画業を一度に見られるところがあります。母は 一点の俗なる卑しさもない凛とした この国の女の美しさを描きました。美人画の上村松園。子は 四季折々の季節を伝える花と鳥を。花鳥画の上村松篁。孫 上村淳之は 今も鳥を描き続けています。女に 花に 鳥…。日本伝統の美が並ぶ中でその2羽は静かに佇んでいます。今日の一枚…。染み入るような静寂の世界。笹の葉の上には雪が降り積もっています。そこに 雌の鶴が羽を休めています。片足で立ち 首をグッと縮めて。雪より更に白い羽。驚くのは その描き方。淡い濃淡で張りつめた空気の中に息づく命の温かさが伝わってきます。雪景色は 一対の絵の中で地続き。左は 雄のタンチョウです。毅然とした姿でそこに佇んでいるのは休んでいる雌のタンチョウを見守るため。克明に描写された クチバシ。頭頂部の鮮やかな赤。そして 風切羽の漆黒。めでたくも優美な 竹に鶴。古来より 幾度も描かれてきた花鳥画のテーマです。しかし この絵にはそれだけでは語りきれない美の世界があると思いませんか?日本画家2001年に 98歳でこの世を去るまで一途に花鳥の世界を描き続けた画家です。それが 幼い頃からの松篁の夢でした。奈良 平城京のほど近くにそんな松篁が手に入れた夢の世界があります。鳥の鳴く家 という意味で松篁が名づけた1935年に 松篁がこの地を買った時には自然のままの鳥たちがいるばかりでした。それが 今では 鳥の楽園。唳禽荘を大きくしたのはやっぱり 日本画家なんだけど最初 ここに来た頃はまだ学生だったの。おばあちゃんの松園さんが亡くなったあと空き家になったここに引っ越してきたのよ。それから お父さんの松篁さんの絵の題材にってとにかく 鳥を集めてね。それが今では なんと230種 1,600羽!およそ 1万坪の敷地に上野動物園よりも多くの種類の鳥がいるんだから。すごいでしょ!え? 私が誰かって?もう! レディーの歳を明かすなんて私は シオン よろしくね。だって私 鳥の味方だもん。いちばんの友達は こっちこっち。ここ曲がったところほら いたいた タンチョウさん。ねぇ 調子はどう?あんたは いつ見ても お上品ね。花鳥画のテーマとして代表的な タンチョウ。しかし 実は 上村松篁の描いたタンチョウは生涯で 2作しかありません。もう1作は 松伯美術館の奥深くに厳重に封印されていました。では 見てみましょう。やわらかな光を浴びて舞い踊る 2羽のタンチョウ。1922年 松篁が弱冠二十歳にして二度目の帝展入賞を果たした作品です。しかし 画家は生前この絵を見せたがりませんでした。いったい なぜ。一方 今日の一枚は78歳の時の作です。画家曰く…。2つの作品の間に流れるおよそ 60年という歳月。その間 画家に何があったのか。上村松篁が極めた花鳥の神髄とは。さて 宮内庁御用達といえば思いつくのは老舗の銘菓などでしょうか。上村松篁は 皇室からも愛された画家でした。皇居の中には 花鳥を描いた屏風が置かれ昭和天皇の寝室には松篁の キジの絵が掛けられていたといいます。そして 皇太子殿下の御成婚の際に作られた記念テレホンカードは 今日の一枚『丹頂』をあしらったものでした。松篁は 上村松園という 偉大な芸術家を母に持ちながらも母とは異なる道を歩みそして 極めたのです。この国の絵画の歴史において近代美人画の確立者として不動の地位を築いた上村松園。上村松篁は 松園の一人息子として京都に生まれました。家にいるのは 母と自分。伯母に祖母と 女性ばかり。しかし…。母 松園は 2階の画室で一心不乱に絵を描いておりそこは 立ち入り禁止。幼い頃 松篁は母のことを二階のお母さんと呼んでいました。孤独な少年の遊び相手は小さな生き物たち。6歳のときには文鳥をかってもらいました。しかし そんなある日餌をやろうとしたら文鳥が 籠の外へ。庭の楓にとまり 若葉の光を受け青みがかった灰色の羽。そして 赤い脚とクチバシ。なんとまあ 美しいなぁ。松篁が花鳥の美に目覚めた瞬間でした。13歳のとき成績優秀で特待生。19歳にして 帝展に初入選を果たします。しかし その頃でした。松篁は 生涯のテーマとなる挫折を味わいます。怒鳴りつけてきたのは学校の教官で幻想的な日本画を描く入江波光。松篁の絵は 誰もが想像できる概念的なものだと批判したのです。技術的にも自信があっただけに叱られたことは ショックでした。どうすればよいかは わからない。自分にやれることはひたすら写生に写生を重ね写実に徹することだと考えました。『仙禽唳光』は ちょうどこの頃に描いたものだったのです。松篁はなぜ この作品が気に入らなかったのでしょうか。私たちが作品を見たときに少し怖いような非常に野生的な生き物のすごみというものが見受けられるんですけれども。がむしゃらに写実を重ねることで何か見えてくるんではないかという松篁自身の焦りであったりまだ先の見えない不安そういったものが作品に表れているんではないかと思います。まだまだ松篁独自の表現には至っていなかったのです。一方 78歳のときに描いた今日の一枚。鶴の表情は 野生的で険しいものとは正反対の穏やかな優しさに溢れています。なぜ 松篁はこの表情を描けたのでしょうか?それは唳禽荘に秘密がありました。ねぇ おやつ おやつ。 おやつ!あ ありがとう。
(シオン)私はさドッグフードで大満足なんだけどここの鳥たちはそりゃもう贅沢なんだから。ほんと 至れり尽くせりよ。どれだけ贅沢かって?ほら 淳之先生についていったらわかるわ。
(シオン)この小屋 何の小屋だかわかる?ドア開けてみればわかるわ。
(シオン)ねぇ 聞こえてきたでしょ。鳥たちのお食事用よ。石垣島産南国のコオロギを養殖してるの。
(シオン)この温室だって。人間だってこんな贅沢してないでしょ?お住まいも実に清潔快適。鳥小屋特有の嫌なにおいなんて一切しないの。だって24時間 きれいな水で洗い流してるんですもの。汚水処理も完璧よ。ここに溜めて浄化してまた使うんだから。でも こんだけの設備があって鳥もいっぱいいて毎日大変だろうって?ご心配なく!唳禽荘にはね 6人の飼育専門のお兄さんや お姉さんがいて鳥は卵から人の手で育てているの。だからなつく なつく。松篁さんも それがお気に入りでほんとに楽しそうにしていたわ。来た来た。 行こ行こ。おもしろいこと。かわいらしいことやな。ここの鳥たちとのふれあいが今日の一枚を生んだのです。写生してると鉛筆つつきにくる。松篁は鳥に話しかけながら写生を重ねたといいます。そして生まれた穏やかで美しい姿のタンチョウ。しかし 画家が見ていたのは唳禽荘の鶴だけではありませんでした。他に もう一つ。画家に霊感を与えたある鶴がいるのです。その鶴は 画家の生まれ育った京都にいました。上村松園の子 上村松篁。同じ日本画家でありながらまったく独自の道を歩んだ親子です。母は子に 何も教えようとはせず子もまた教わろうとはしませんでした。ただ 「これは品がええね。これは品がない」幼い頃から母のそんな言葉を聞きながら子は しぜんと日本の美を見る目品格というものを身につけたといいます。そんな松篁には今日の一枚を描くにあたり目標にしていた作品がありました。古都 京都には 古くから伝わる二つの鶴の名品があります。一つは相国寺。中国14世紀の画家 文正の鶴。もう一つは大徳寺。中国13世紀の画家牧谿の鶴。牧谿の鶴は神の使い。文正の鶴は仏の使いと呼ばれ尾形光琳や伊藤若冲といったあまたの画家たちが手本にしてきました。そして 上村松篁もまたこの古典の持つ魅力に近づきたいと考えていました。牧谿の鶴の魅力は絵に宿る「天地の霊気」である。それは 表面的な美しさではなく絵に神仏が宿り霊気を放つような美の極地。単なる丹頂ではいかんのですよ。神宿る丹頂でなければならない。仏宿る丹頂でなければならない。鶴に挑む以上天地の霊気を放つように絵に魂を込めなければならない。そもそも花鳥画とは美しい自然をより美しく並べ替え現実を超えた 更なる美を画面に生み出すものです。つまり まず画家のイメージありき。それから何日もスケッチを重ねることで画家は どんなポーズでも頭で描けるようになるのです。描くべき線と省略すべき線を見極め下絵が完成。そして 雪景の鶴において最も重要なのが白の表現です。絵の具は胡粉。筆は2本使います。1本は水用の筆。口にくわえ 水の量を調節し絵の具に重ねて濃淡をつける繊細な技。日本画独特の ぼかしの技法です。そうして 羽毛の毛先まで魂を込め描かれた 『丹頂』。透き通るような羽根の一枚一枚に神秘的な魅力を感じませんか?それこそが 画家が絵に宿らせた天地の霊気なのです。
(シオン)唳禽荘には松篁さんのために淳之先生が 15年かけて探してきた珍しい鳥がいるのよ。お〜い!あっ 来た来た! 白鷹君よ。松篁さんが どうしても描きたいって言うから淳之先生が ロシアで見つけてきたの。でもね…。それこそ白。この鳥の白はもっと難しいと思ったんでしょう。もっと長年 見続けないと描けないなというふうに思ったのかもしれません。亡くなる前のベッドの上でこんなんしてこういう枝があって赤松のこうあってここに こう描きたいんやっていうことを。 それはね描けるわけないの もう。起き上がれへんから。
(シオン)だから 今 淳之先生はお父さんからの宿題を必死に取り組んでる。松篁さん天国で絶対 喜んでるわ。あら おやつ? なんだ 違うの?じゃあ 私は猫の見回りまでひと眠りしようっと。日本の美を追究してきた親子3代の美術館があります。そのなかに 毅然として佇む丹頂。深々と降り積む雪のなかでしかし その鶴は不思議な温かさを秘めています。雪より更に 清らかな白に包まれた高貴なる命。上村松篁作 『丹頂』。一途に花鳥を描いた画家神秘なる美の極み。〜